モンテッソーリは、こどもの発達の過程で、言葉や数、身体の動きを学ぶのにもっともふさわしい時期があることを発見し、それを「敏感期」と呼びました。
敏感期のこどもは、特定の機能に対して驚くほどの興味と情熱を持ち、それらを非常に高い密度で修得します。
しかし、これは一過性のもので、この時期を過ぎてしまうと同じ事を身につけるのに大変な努力を要するようになります。
モンテッソーリ教育では、敏感期を逃さず利用し、自分の発達に一番必要なことを身につけられるような環境を準備します。強制されてするのとでは、教育効果の上でも大きな違いがあります。
「美しが丘こどもの家」には、いろいろなタイプのこどもが入園してきます。
依頼心が強い子、落ち着きがない子、乱暴者に泣き虫・・・。初めのうち彼らは何をしたらよいかを自分で決められず、歩き回ったり、他のこどもの邪魔をしたり、すべてが気まぐれで長続きしないという具合です。しかし、次第に自分で本当にしたいと思う作業を選ぶようになると、自発的な集中力を示し真剣に作業に取り組みます。こうした体験を経て生まれた自分自身への信頼感が、次の活動への意欲を引き出し、思いやりや協調性が育っていくのです。
モンテッソーリ教育が教具を使った活動を重視するのは、作業の課程で得た集中力が、こどもの人格形成にもっともよい影響を与えると考えるからです。
「手は知性の道具」と言われます。手を使うことで、環境からいろいろなものを学び、自分を発達させます。こどもにとって、言葉による説明や見るだけで、体験のないことを理解するのはたいへん難しいことです。「重い」という言葉だけ教えられても、実際に持ってみなければ「重い」という正確な概念は生まれてきません。
手を使うことは、こどもが成長するための強い要求です。赤ちゃんの頃は、無意識に使っていた手を、3歳頃からだんだんに意識して使うようになり、集めたり、比べたりといった考える作業が加わります。
これが次の知的活動の準備になるのです。「美しが丘こどもの家」では、単調に手を使うのではなく、少しずつ困難を増しながら正確に手を使うように、教材を準備しています。
「美しが丘こどもの家」では、それぞれのこどもが自分のやりたい活動を選び、気に入った場所でしたいだけ繰り返す自由が保障されています。
そして、その子が何を選んだかを学期ごとに記録し、まとめてみると、それぞれのこどもの無意識の計画性に驚かされます。無駄にみえる作業が、確実にひとつの方向へ導く大きな力となり、またはっきりとしたその子の個性を知らされ、心を打たれる思いがします。
しかし、この自由は「好き勝手な自由」とは区別されます。
「他人に迷惑をかけること」は禁じられますし、選んだ活動の秩序は受け入れなければなりません。「これはこの目的に使うもの」「この活動にはこの順序が必要」といった条件を受け入れることから物事の成り立ちの本質に気づき、規律を受け止める心が育ちます。
選ぶとは責任を伴うことで、こどもは自由な選択の中から規律を学んでいるわけです。